ボッティチェリの名作「春(LA PRIMAVERA=ラ・プリマヴェーラ)」の謎に挑戦するサイトです。 (1)「死」に関係するふたりの登場人物(上) 《春》は一般的な解釈として、「結婚を祝って描かれた絵」とか、「神々の庭園の永遠の春を表す絵」であると言われます。このようなロマンティックな解釈を持つ名画に対して「死」がテーマの絵だなんて、縁起でもない、と顔をしかめられる方もいるかもしれません。 「死」がテーマであったかはともかく、少なくとも《春》には「死」が深く関わっていることは間違ありません。そのことについて、順に説明します。 ■不吉な色で描かれたゼピュロス 《春》と《ヴィーナスの誕生》は対幅であると言われており、《春》は「世俗のヴィーナス」、《ヴィーナスの誕生》は「天上のヴィーナス」を表したものである、と言う説があります。 ふたつの絵に描かれている人物を見ると、口に息を溜めた表情や衣装から、ゼピュロスが共通の人物であることは明らかです。ところが《春》と《ヴィーナスの誕生》の描き方を見ると、大きな違いがあります。右のように並べて見れば一目瞭然なのですが、ゼピュロスの肌の色が全く異なるのです。 ゼピュロスの肌の色は、《ヴィーナスの誕生》では健康的な色で描かれているのに対して、《春》では蒼白な色で描かれています。 《ヴィーナスの誕生》のゼピュロス 《春》のゼピュロス こうやって並べてみると、同じキャラクターをわざわざこのような色に描き分けたボッティチェリの意図を、ついつい考えてみたくなります。 ■ゼピュロスはアノ世の神様 日本の伝統的な死生観では、死ぬと地獄か極楽に行くことになってますが、ギリシア神話の場合もアノ世があり、地獄にあたるタルタロスと、極楽にあたるエリュシオンの野という所があります。 この雪も雨も降らない平和なエリュシオンの野に、穏やかな風を送りこむのが西風のゼピュロスの仕事なんですね。 ギリシア神話には、4人の風の神(アネモイ)が登場します。ボレアス(北風)、ノトス(南風)、ロス(東風)、そしてゼピュロス(西風)です。ゼピュロスは、アネモイの中で最も温和であり、春の訪れを告げる豊穣の風として知られてます。 つまりゼピュロスは冥界の神様というワケなのです。ただ、それをどう描くかは画家の自由で、《ヴィーナスの誕生》のゼピュロスは、健康そのものといった小麦色の肌に描かれており、「春の訪れを告げる豊穣の風」というイメージどおりです。 ところが《春》のゼピュロスの蒼白な肌色は、「結婚」や「永遠の春」とはほど遠い不吉なイメージを示し、まさに「冥界の神様」を連想させます。 ■ゼピュロスの周囲は墓場? ゼピュロスの色はなかなか不吉な雰囲気ですが、《春》の画面の右端、ゼピュロスが出て来ている部分の樹木の様子や背景にも、なかなかただならぬ不吉な雰囲気が漂っています。さながら「墓場」のように見えませんか? まるでゼピュロスが「墓場=冥界への出入り口」から現われた様子を描かれたように思われます。さて、もしほんとうにボッティチェリが「結婚を祝う」ことや「神々の庭園の永遠の春を表す」ためにこの絵を描こうとしたのであれば、このような不吉な表現をするでしょうか? ゼピュロスの背景が「墓場」のように見える、というのは、実を言うと私の直感ではなく、ある根拠があるのです。その根拠については、後の項で説明することにします。 さて、この絵には、実はもうひとり、さらに「冥界」に深く関わりを持つ登場人物がいます。画面左端にいる男性。この神様はその衣装の特徴から、ヘルメスであると言われています。そしてヘルメスは「冥界の案内人」という役割を持つ神様なのです。というわけで、次回のお題はこのヘルメスについてです。 ●この章の主な参考文献・参考サイト 『ギリシア神話 物語事典』 バーナード・エヴスリン 小林稔訳 原書房 2005.11 『ギリシア・ローマ神話』 トマス・ブルフィンチ 野上弥生子訳 岩波書店 1978 「神々のカタロゴス:ギリシア神話データベース」http://www.h6.dion.ne.jp/~em-em/index.html ※20008.06.09一部改訂 ※20008.05.27 禁無断複製